我が古里第2弾!!
2013.11.22プロデューサーの吉田です。
朝晩少し冷えて参りましたネ!寒さには結構強い方なので、自宅ではTシャツでおります。寒くなると、実家を思い出すのですが、私の田舎(岩手県紫波町)の偉人を少し紹介したいと思います。
この度は、私の実家より徒歩5分(2件となり)の所に性を受けた偉人がおります。
野村胡堂さんです。(小説家・音楽評論家)少し紹介いたします。
岩手県紫波郡彦部村出身。彦部村の村長の野村長四郎の次男として生まれ、本名は長一(おさかず)、胡堂は号。別号あらえびすです。
盛岡中学校を卒業し、同級に金田一京助がおり、下級生に石川啄木がいたようです。
’31文藝春秋発行の『文藝春秋オール読物号』創刊号に捕物帳の執筆を依頼され、銭形平次を主人公にした「金色の処女」を発表、『銭形平次捕物控』の第1作目となります。
’46ソニーの前身である東京通信工業に、前田多門(16-1-3-7)と共に資本金19万円を出資。前田が社長を務め、井深大(17-1-8-7)が技術担当の専務、盛田昭夫が営業担当の常務となって事業を始めた際のバックアップを担った。 ’49捕物作家クラブ結成し初代会長をつとめ、後進の指導にあたる。’56故郷の紫波町彦部に胡堂文庫を設立し、自らの著書を寄贈。’58第6回 菊池寛賞受賞。 ’59紫波町名誉町民に推挙。’60紫綬褒章受章。’63私財のソニー株約1億円を投じて財団法人野村学芸財団を設立し、育英奨学金や学術研究の助成を図った。自身が貧しさのために学業を途中で諦める結果となったことに対して、そのような学生を救うためとの意志からである。肺炎のため逝去。享年80歳。
改めて、近所に住んでいても知らない事が沢山ありました。野村胡堂・あらえびす記念館があります。お近くまでお越しの際は是非よって見て下さい。私の母も掃除係りでお手伝いをしているようです。
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